書院番(しょいんばん)とは、江戸幕府の徳川将軍直属の親衛隊。
慶長10年に設立され、水野忠清、青山忠俊、松平定綱、内藤清次が番頭に任命された。
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当初四組によって構成され、後に六組まで増員される。また親衛隊という性格から、西丸が使用されているとき(大御所もしくは将軍継嗣がいるとき)は、西丸にも本丸と別に四組が置かれる。一組は番士50名、与力10騎、同心20名の構成からなる。番頭は、その組の指揮官である。
大番と同じく将軍の旗本部隊に属し、他の足軽組等を付属した上で、備内の騎馬隊として運用されるが、敵勢への攻撃を主任務とする大番と異なり、書院番は将軍の身を守る防御任務を主とする。
小姓組とともに「両番」と称せられ、有能な番士には出世の途が開かれていた。
1600年の関ケ原の戦いで西軍に与したため、戦後、改易されて浪人となった立花宗茂が、1604年に徳川家康に召しだされたとき、宗茂は書院番頭に任じられ、5千石で遇されている。